ここ数年は日本語公演、あるいは朝鮮語、日本語を交えた公演を行っています。
理由は二つ。
一つは、多様化する在日同胞社会を写し出す試みとしてです。
在日朝鮮人の皆が民族学校を出たり、母国語を話せるわけではもちろんありません。
自己の出自に悩んだり、葛藤を余儀なくされる若者の感情表現はどうしても日本語が多くならざるえません。
「バンテージ」(98年11月公演作)が代表例です。
二つ目は、日本人の視点です。
在日同胞社会を取り巻くより大きな日本社会の視点、とらえ方を我々がどう意識
するか、今まではあまり扱われなかった重要な問題だと思います。
「夢の国さがして」の板前・梅さん、「月歌」の刑事・フルハタケニンシロウなどが
そうです。